和尚紹介
経歴

僧階 大僧都 教階 輔教 学階 擬講

 昭和41年仏教大学を卒業、大学院に入学
 昭和44年に前住職が急逝したため、現住職が24歳で住職を引き継ぎました。引き継いだ当時は、本堂や諸堂が相当に傷んでおり、大修繕の必要性を感じておりましたが、昭和46年から栗東町役場の教育委員 会と兼務のためなかなか思うようには進められませんでした。
 昭和54年、本堂の大修繕に着手いたしました。このときは、檀家総代の決定まで20回以上の会合を費やし、住職の「修繕できないのなら、本堂の梁に首をくくって死ぬ」とまでの決意に、檀家の心が動き、約1年9ヶ月をかけ、1億数千万円の巨費を投入して見事昔日の威容を取り戻したのです。
 その後、本道の修復とともに昭和56年教育委員会を退職して、寺務に専念。
 昭和57年にはゲートボール場を開設し、全面を無料開放といたしました。
 翌58年には開山堂の全面建替え昭和62年には日本最大の青銅製の「仏使の牛」を建立、この頃からゲートボールが盛んになり、愛好者の間では通称「ゲートボール寺」と呼ばれるようになりました。
 庫裏修理等を経て、平成6年には山門の平成大修理に着手。平成9年にはこれも無事に完成し、平成11年には、「安楽園」も完成。
 発足当時からの全国善光寺会の幹事に就任、今日にいたっています。
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